top of page
「けもののにおい」
山村を歩いていると罠猟にかかり動けなくなった鹿と年老いた村の男性が対峙していた。男は鹿を気絶させてから、首の動脈を鉈で切るというが、簡単に気絶しないその鹿は何度も立ち上がり、そのたびに、鹿からは恐怖や絶望のような感情が伝わってきた。残酷に思えるその光景のなか、年老いた男の手は震えていた。
狩猟解禁となる冬山では時々銃声音が鳴り響いている。何度かベテランの猟師に付き添い、鹿や猪を仕留める瞬間を見てきた。そこにはためらいは一切なく、培ってきた感覚と獲物を狩るという本能のようなものを感じた。一瞬で仕留められた獲物の頭には正確に銃弾が貫通し、その瞬間はまるで自分が死んだことすら解っていなかったかのように、銃声の後、数十メートルは走り抜けていた。
命を奪うことに対し違いはなく、どんな状況でも奪った命をいただくことに感謝をしている。それは長い時間をかけて自然と人間と動物の間で定められた掟のようにも思えた。
山のなかの実情に触れていくなかで、命について、生と死について、考えてきたが答えは出ていない。ただ山のなかで過ごす時間のなかで自然と理解できている自分がいた。
狩猟を通し垣間見てきた死の瞬間。私は写真を撮ることで間接的にその命を奪うことに関わってきたと思っている。罠猟で苦しみや絶望、恐怖を放つ鹿の姿を今でも思い出す。猟犬にかみ殺される猪の悲鳴や遠くから仕留められて崖を転がり落ちた雌鹿の死骸には小さな命が宿っていたことも、全て強烈な映像として頭のなかに鮮明に刻まれている。狩猟という人と動物の繋がりを知ることで、今まで見えていなかった冬山の世界が改めて見え始めた気がしている。残酷に見えるこれらの光景には冬の山でしか聞くことが出来ない音、そして、見ようとしなければ見えてこない、人と動物が共存する本来の姿がある。
2016-2020
Symbiosis 002
bottom of page